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半田広宣特別コラム

ウィズコロナ時代の光と闇



ウィズコロナ

コロナ以後の社会を予測する

2019年末、中国の武漢から始まった新型コロナウイルスによるパンデミック。あれから、もう間もなく丸2年が経過しようとしている。国内で5度にわたって押し寄せた感染拡大の波もようやく小康状態に入り、10月下旬からは一日の感染者数は全国的に急激に減り、ピーク時と比較すると誰もが驚くほど大幅に減少している。

激減した背景にはワクチン接種率が上がったことや、緊急事態宣言による人流抑制の効果も多分にあったに違いないが、はっきりとした理由は専門家の間でもよく分っていないらしい。
ただ、今後、新たな変異株が出現して現行のワクチンの効力を無効にし、より大きな感染拡大が起こることも十分にありうる。コロナは新しく誕生した風邪だ。従来の風邪と同じく消えて無くなるなんてことはまずない。まだまだ予断は許されない状況だ。

さて、万が一、コロナ禍のこれまでの状況がこのまま慢性化し、ウィズコロナの状況がこれから先もしばらく続くとしたら、私たちの社会はどのように変わっていくのだろうか。また、どのように変わっていくべきなのだろうか。そのあたりのことをここ2年間の社会現象を元に考えてみたい。

コロナの前と後それぞれの功罪は?

まず、コロナの功と罪があるとして、「功」に当たるものがあったとすれば、それは何と言ってもテレワークの普及だろう。他の先進諸国と比べて明らかに出遅れていたデジタル化やICT化が役所や企業、学校等様々な場所で一気に加速された。

行政や産業の分野でデジタル化が進むのは大いに結構なことだ。テレワークやリモート授業の浸透は大都市一極集中からの脱却を促し、地方分散社会への実現を後押ししていくきっかけとなっていくに違いない。

国が持続化給付金や特別定額給付金の支給を実際に行ったことの意味も大きかった。日本の場合は国民一人当たり10万円の給付だけに留まっているが、欧米各国では国債の発行による巨額の財政出動がなされ、従来のプライマリーバランスに基づいた国家財政についての考え方が大きく変わりつつある。
経済面では、自国通貨建て国債の破綻は考えられないというMMTという新しい考え方も各国の首脳たちの間にも受け入れられつつあり、こうした流れを受けて、日本でもベーシックインカム制度の実施を口にする政治家や経済人も出てくるようになった。これらもコロナ前では考えられなかったことである。

一方、「罪」の要素も数多くある。例えば、長引く外出制限やソーシャルディスタンスによるストレスは人々に心理的な分断をもたらした。子供たちは学校に行けなくなり、友達とも会えず、外で遊ぶこともできない。家には在宅勤務となった親も一緒にいて、親は親で仕事の先行き不安などでとてもいい心理状態にはない。こうした状況では家庭自体がストレスの発生源になってしまう。

事実、コロナ禍以後、DVが一気に増加したという報告もあるし、地域社会では、感染者やその家族などに対する差別や風評被害が発生しているとの報道もある。家庭のみならず、地域レベルでの人々の心理的な分断も発生しているのだ。国全体を見ても人々の心理的分断は進んでいる。コロナによって実体経済が多大なダメージを受けたために、そのしわ寄せが真っ先に低所得者層や非正規雇用者といったいわゆる貧困層を襲っている。
それに対し、世界の株式市場は過去最高値を更新し続け、貧富の格差はますます広がって、市民社会全体に亀裂を入れ始めている。極め付けはワクチン接種をめぐる強権社会の到来である。未だに感染者が減らないアメリカでは政府が労働者にワクチン接種を義務付ける方向に動き始めている。つい最近も、ニューヨーク市の全公務員に対する新型コロナウイルスワクチン接種の義務化が発表された。日本も今後、感染拡大の波が慢性化するようなら、ワクチンの義務化が余儀なくされるかもしれない。

しかし、この問題は深刻だ。現在出回っているワクチンに顕著な感染防止効果が認められるならまだしも、副作用で死亡者まで出ているワクチンである。そんなワクチンの接種を義務化すること自体どう考えてもおかしい。
もちろん、ワクチンが統計学的には感染防止のための有効な対策であることは重々承知しているが、それでも個人の身体までもが国家の管理下に置かれるということに対して私は強い抵抗がある。守るべきは公益であり、そのためには人の権利が大きく制限されてよいという考え方がもし常識化すれば、私たちの社会の未来は、コロナ禍以上に苦しくて、つらい社会と化してしまうだろう。

協調や連携、連帯が価値を持つ時代へ

思いつくまま、コロナ以後の社会的現象のいくつかを挙げてみたが、コロナとの共生社会は圧倒的に不安要素の方が多い。従来の価値観や社会のあり方自体を根底から変革しなければ、このまま社会自体が崩壊していくことだってありうる。この状況を乗り越えるためには、新しい幸福のあり方や、そのための価値作りを助長するための社会のあり方や経済のあり方が今よりさらに求められてくるだろう。今、私たちに必要なのは批判や非難ではなく、協調や連携、そして連帯だ。
ただ、これらは制度やテクノロジーの力だけでは作り出しようがない。私たち個人個人が自らの内部から変革を起こさない限り難しい。まずは、そのような問題意識を多くの人が持つことを「ネクスト・ノーマル」としないといけない。もう社会はコロナ以前のような姿には戻れないのだから。

2021年12月-ブロッサムNo.86

ポストコンピュータ時代の日本人

SDGsについて思うこと

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半田 広宣

半田 広宣Kohsen Handa

福岡県生まれ。1983年心身を健康にする未来型健康商品の開発・販売を始める。株式会社ヌースコーポレーション代表取締役。現在、武蔵野学院大学スペシャルアカデミックフェロー(SAF)。

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