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半田広宣コラム 「ヌースの時間」

オリンピックの意義



オリンピックの意義

17日間の会期を終えてロンドンオリンピックが閉幕した。開催前はセキュリティ面や交通機関の問題、悪天候等、いろいろな不安要素が囁かれていたが、いざ終わってみると、人気種目であるサッカーでの男女揃っての準決勝進出という快挙も手伝ってか、近年の大会の中でも一番盛り上がった大会だったように思える。

正直言って、若いときにはオリンピックには全く興味がなかった。オリンピックなるものは各国の政治矛盾を覆い隠したり、巨大なハコもの建設のためのイベントだと思っていたからだ。
しかし、年を重ねるにつれ、たとえ背後に国家主義や商業主義の思惑が働いていようとも、それでもオリンピックは開催されてしかるべきだと思うようになった。それはそこで演じられるパフォーマンスの中にこそ、逆に、国それぞれの考え方や経済優先主義を乗り越える、何らかの力があるのではないかと感じ始めたからだ。

アスリートたちは日常とは違うレベルの経験をしている。彼らは強力な敵と戦わなければならない。メダルを取るためにはその敵以上に素晴らしいパフォーマンスを見せなければいけない。しかし、勝ち抜けば勝ち抜いたで敗北に涙する敵の姿を目の当たりにすることになる。選手たちは相手もまた自分と同じく血のにじむような努力と苦労を重ねてこの場所にいることを知っている。痛いほど相手の失意と無念さが伝わってくることだろう。また明日の自分をその姿に重ね合わせ不安や恐怖に支配されることもあるはずだ。
そうした怒濤のような感情の流れと戦いながら次の試合へと挑んでいく。このような戦いのレベルになると使い古された言い方ではあるが、敵はたったひとつしか存在しない。それは単にライバルとしての競技者でもなければ、もちろん他の国家などでもない。まさに自分自身だ。

人生は不条理に満ちている。自分の人生を手放しで祝福できる人間など一人もいないだろう。
人は自分の中に怠惰を感じ、ときに臆病になり、ときに他人の善意を悪意で返すことさえある。それは人が弱い存在であるから致し方ないことでもあるのだが、人は普通、そんな自分の中の弱さに対して目をそむけて生きていきがちだ。
分かっていても正せない。分かりたくないから見つめない。そんな私たちに、あの舞台に立つ選手たちは体力、精神ともに限界まで自らを追い込み、そして、本当に美しく尊いもの、人間が大切にしなくてはいけないものとは一体何なのかを見せてくれる。

私たちが考えている以上にアスリートたちは深いところでオリンピックの意義というものを感じとっているに違いない。それは「人間の可能性」と言っても決して大げさな言い方ではないように思う。
そして、同じ経験を共有したライバルたちを、国籍や人種を越えたところで人間として賞賛し、尊敬し合う。こうした触れ合いの中に国家や貨幣を超越した純粋な魂としての連帯が生まれるのは当然のことだろう。国家の代表として出場した彼らだからこそ、彼らは国家などに頼ることのない個の連帯として開花する世界の可能性を垣間見せてくれるのだ。

わたしから云わせてもらえば、これこそがオリンピックの存在意義である。
閉会式の選手たちの晴れやか笑顔を見るたびに、いつの日か世界中が同じ笑顔で満たされる日が来ることを夢見る自分がいる。

2012年9月-ブロッサムNo.49

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