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半田広宣コラム 「ヌースの時間」

怒ることなくして和もまたあらず



怒ることなくして和もまたあらず

その昔、「キレる17歳」という言葉が流行った。ちょうど2000年頃だったろうか、長年の知己だった精神科医の酒井博士と「ヌーススピリッツ」を共同開発したのも、そのような当時の社会状況に問題を感じたからだった。

あれから、15年余、今や「キレる」は日常用語になっている。学校、家庭、職場、この「キレる」病が、若者ばかりか、中高年、老人と、全世代にわたって蔓延し始めている。パーキングエリアでのちょっとしたトラブルから、夫婦が死亡した東名道での事件は、まだ皆さんの記憶にも新しいのではないだろうか。最近は、こうした交通トラブルによる傷害事件も激増しており「ロード・レイジ」という新しい言葉まで出てきているそうだ。

どうして、現代人はこうもキレやすくなったのか―専門家は主に二つの理由を挙げている。一つは、食生活における糖分の摂取の仕方の変化。昔のように、ご飯やイモ類の炭水化物を通して糖分を取れば、血糖値はゆっくりと上がり、ゆっくりと元に戻る。しかし、炭酸飲料やスナック菓子のような食品を摂取すると、脳に一気に大量のブドウ糖が流れ込むため、血糖値の下がりも早い。低血糖になると脳はちょっとしたことでカッとなり、キレやすい状態になるらしい。

もう一つは、パソコンやスマホの普及で我慢や抑制を強いられる機会が激減したこと。脳医学的には我慢することは学習の一つでもあり、それによって前頭前野が発達していくとされている。

前頭前野とは欲望や感情を抑える働きを持つ、いわゆる理性の場所だ。これが発達しないのだから、衝動が抑えられるはずがない。つまり、世の中が便利になればなるほど、人間は衝動的になり、キレやすくなるということなのだ。私個人はこれらの原因に加えて、日本の社会全体が怒りの感情を抑圧していることを挙げたい。

「怒る」ことは「キレる」こととは意味合いが全く違う。怒りは自然な人間感情だ。しかし、最近の世の中には、感情を露わにすることがことがカッコ悪いという風潮がある。その顕著な例が若者たちだ。私たちが若い頃は、若者の特権と言えば、大人が作り出した理不尽な社会に怒りを向けることにあった。しかし、今の若者たちにはそのような傾向は見られない。

昔のようにデモなどの社会運動なんてものは極端に嫌われる。そういう行動はいわゆる「イケて」ないのである。と言って、彼らが社会の在り方に満足しているわけでもない。その多くが、私の世代が若者だった頃と同様、社会に対してはたくさんの疑問を抱えて生きている。だけど、反発はしない。それどころかその疑問と向き合いたくないために、逆に権威と同一化し、そこから世界を見ようとする。なぜならその方が自分が楽だからだ。

こうして、無意識のうちに「強いものには従順だが、弱い者には強圧的で」「肩書で人を判断し」「内省を恐れる」ことを特徴とする権威主義的パーソナリティーなる歪んだ人格が出来上がっていき、深刻化なイジメやキレる原因となっている。もっとも、こうした傾向は若者に限らない。大人たちもまた怒りの感情を無意識のうちに抑圧し、正しい怒り方がわからなくなってしまっている。つまりは、怒れないから、キレるのだ。

私は怒りもコミュニケーションの在り方の一つであると考える。もちろん抑圧の発散のための「キレる」ではなく、怒りという感情の交換を通じて、相互理解を深めることもまた、現代人にとっては重要なのではないか。怒ることなくして「和」もまたあらず―というのは言い過ぎであろうか。

2017年12月-ブロッサムNo.70

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