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半田広宣特別コラム

SDGsについて思うこと



SDGs

SDGsは実現可能なのか?

最近、ニュースなどでやたら耳にする「SDGs(エス・ディー・ジーズ)」という言葉を皆さんはご存知だろうか。SDGsとはサスティナブル・ディベロップメント・ゴールズの略で、直訳すれば「持続可能な開発目標」という意味になる。これは2015年の国連サミットで、今後、国際社会がどのような社会づくりを行っていくべきか、その協議の上で採択されたものらしい。環境保全などを含めて17の目標が掲げられており、全部で169個もの具体案が挙げられている。

一番目に掲げられている目標は「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」というものだ。これは、現在グローバル社会の中で起こっている経済格差の拡大の是正を目指したものと思われるが、この目標達成のためには開発途上国への農業指導やインフラ供給が絶対不可欠だ。
しかし、アフリカ諸国だけでも人口はゆうに10億人を超えている。それらの国に住む人々が現在の西欧諸国並みの水準にまで生活のレベルを上げるとなれば、それこそ莫大なエネルギー消費に繋がるだろう。それでいて環境保全をも同時に進めてといくというのだから、素人目に見てもとても実現不可能な目標の羅列に見えてしまう。
経済の成長と環境保護のためのサステナビリティ(持続可能性)を両立させようと高らかに歌い上げるのは結構なことだが、意地悪く見れば、グローバル企業の用意周到な成長戦略として見えないこともない。

脱炭素化の胡散臭さ

例えば、最近、世界中で加速してきている脱炭素化の動きについて考えてみよう。脱炭素化とは地球温暖化の原因となっているCO2など温室効果ガスの排出を防ぐために、石油や石炭などの化石燃料からの脱却を目指すことをいうのだが、地球温暖化の原因が本当にCO2の増加にあるのかどうかについては、まだ科学的コンセンサスが十分に取れているわけではない。

しかし、世界中の自動車メーカーは一斉に電動車の生産へのシフトを開始している。つい最近、日本の大手自動車メーカーも2030年までに新車販売の約8割を電動車に置き換えるというプランを発表したばかりだ。当然、こうなると、いつまでもガソリン車に乗っている人間は悪者で、電動車に乗っている人間は地球環境のことを考えている善き市民というイメージが定着してくる。

これは全く奇妙な話だ。ガソリン車から電動車に変わったところでCO2の総排出量が減るわけじゃない。電気はどのみち原子力や化石燃料によって作られているわけだし、電動車がバッテリーとして使用するリチウム電池を製造するために必要とするエネルギーは通常のガソリンエンジンなんかよりも遥かに大きい。
結局のところ、脱炭素アピールは、自動車メーカーやエネルギー産業が将来にわたる利益確保のためにエコを大義名分としてマーケットをより拡大しようとするパフォーマンスと見えないこともない。

実際、SDGsが採択された2015年以降、貧困問題や環境保全の問題が解決に向かって動き出しているという兆しはほとんど見えない。貧富の差は広がるばかりだし、CO2の排出量に関しても、日本とヨーロッパの一部以外、軒並み増加の一途を辿っている。
ただ、2020年になってようやく世界全体で前年比7%と大きく減少に転じたが、これは新型コロナの影響によるもので、嫌々コロナに押さえつけられた、という感じだ。

こういう口先ばかりの身勝手な大人社会に、次世代の若者たちが怒りの声をあげたくなるのも無理はない。数年前の国連の気候サミットで、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが行ったあの怒りに満ちた国連スピーチを皆さんもよく覚えておられるのではないだろうか。

「多くの人たちが苦しんでいます。多くの人たちが死んでいます。全ての生態系が破壊されています。私たちは大量絶滅の始まりにいます。それなのにあなたたちが話しているのは、お金のことと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!」

10代半ばの少女のあの怒りの表情に共感を持った人も少なからずいらっしゃるのではないかと思う。突如として時の人となった彼女の活動に政治的な裏があると囁く人たちもいるが、そんなことはどうでもいい。今、こうしている間にも、地球環境が破壊されていっているのは紛れもない事実だからだ。

心の成長の意志へとベクトルを変えよう

冷静に考えればすぐに分かることだが、テクノロジーの力によって環境問題を解決していくことに次の経済成長へのカギがあるとする考え方は欺瞞に満ちている。
というのも、地球環境を破壊している原因は自然側にあるのではなく、大量生産・大量消費・大量廃棄を必要とする私たちの物質に偏った価値観やライフスタイルそのものにあるからだ。

原因は私たちの意識の在り方そのものなのである。こうした物質経済の成長によって生み出された富が貧困層の救済へと向けられるのであればまだよいのだが、これもまた経済が発展すればするほど格差は拡がり続けている。
同じ人間にさえ優しくなれない資本主義が、どうして地球環境に優しくなどなれようか。重要なことは、資本主義社会に生きる私たち一人一人が物質へと向かう「欲望」を、心の成長の「意志」へとベクトルを向け変えることだ。

テクノロジーの進歩によって環境破壊を止められると思うのは人間の奢りだ。それは環境をコントロールするという意味で、人間が自然の秩序を壊しているということに変わりはない。一刻も早く、こうしたソリューショニズムが持つ欺瞞に気づかないといけない。テクノロジー頼みでは環境も人間の心も改善に向かうことはない。
エコロジーの問題が物質的に語られている限り、それはいつまでたってもエコノミーに従属するものにしか成りえないのだ。

2021年9月-ブロッサムNo.85

ウィズコロナ時代の光と闇

人間とは「考える水」である

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半田 広宣

半田 広宣Kohsen Handa

福岡県生まれ。1983年心身を健康にする未来型健康商品の開発・販売を始める。株式会社ヌースコーポレーション代表取締役。現在、武蔵野学院大学スペシャルアカデミックフェロー(SAF)。

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