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半田広宣コラム 「ヌースの時間」

インターネット社会と人間社会



インターネット社会と人間社会

最近、コンビニやファストフードのパートの若者が「冷蔵庫に入った」「厨房でいたずらした」などのコメントを写真と一緒に自らツイッターやフェイスブックで公開して炎上する事件が起こっている。もちろん、当人たちにとっては仲間内に向けたちょっとしたネタふりのつもりだったのだろうが、騒ぎはアッという間にネット上をかけ回り、FC契約の解除や店舗自体が閉鎖にまで追い込まれるという自体にまで至っている。

こうした若者たちの軽率さを「社会性に乏しい」と一蹴してしまうのはたやすいが、若者が社会性に乏しいのは何も今に始まったことではない。私自身、20代の頃いくつかの飲食店でバイトした経験があるが、この手のイタズラは必ずあったし、そうした愚行が仲間内でカッコいいとされる風潮もあった。問題の本質は若者の社会意識が云々ということではなく、たった一人のイタズラによって長年築いてきた企業の信用さえ一日で失墜させることができる新しい暴力のスタイルの確立である。

言うなれば、今まで見えなかった部分がすべて可視化され、同時にすべてが監視されてしまうシステムの確立と言ってもいい。コンピュータテクノロジーの進歩が僕らには未知の何だか空恐ろしいタイプの世界を作り出しているということだ。

今まで人のコミュニケーション空間には基本的に二つのタイプがあるとされてきた。一つは象徴界的なもので、これは簡単に言えばいわゆる「世間」というものだ。「世間」は一度も会ったことのない大勢の人たちで構成されている。
そこは公共的な場であるから、当然、規則やルールを守らなければならない。もう一つは想像界的なもので、こちらは家族や友人などごく身近な親しい人たちとの間に作られている場のことと思えばいい。当然のことながら、これら二つの場では言葉の使い方は違うし、守るべき規則も違ってくるし、許される振る舞いも大きく変わってくる。

ツイッターやフェイスブックにはソーシャルメディア(社会的繋がり)という名前はつけられているものの、果たしてそれらが象徴界的なものなのか想像界的なものなのかの区別がなかなかつけにくい。ある意味、使用している本人たちの意識の持ち方によってどうとでもなるような場所なのだ。
実際、今回の冷蔵庫事件も当人たちはごく親しい身内でのやりとりのつもりだったようだ。実際、外部から批判されると「単なるネタなのに、何でそんなに本気になってるの?」といった感じの反応だったという。逆に仲間内で楽しんでいたところをいきなり外部から茶々を入れられて逆ギレした若者もいたらしい。

今の若者たちの世代は生まれたときからインターネットが用意されている環境だ。これは単に象徴界/想像界という単純な立て分けで生きてこられた僕らの世代が経験してきた世界とは全く異質な世界である。当然、親や学校もインターネットが何なのかよく知らないのだから何も教えてくれない。この先、想像を絶するような技術が次々とインターネットの中に組み込まれてくることだろう。

インターネットはもはやコミュニケーションツールといったような生易しいものではなく、象徴界と想像界の間に生まれつつある何か別種の意識世界なのではないかと強く感じている。インターネット社会と人間社会――この問題について真剣に考えないといけない時代にきている。

2013年9月-ブロッサムNo.53

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