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半田広宣コラム 「ヌースの時間」

インターネット時代の後にやってくるもの



インターネット時代の後にやってくるもの

ソーシャルメディアがチュニジアの「ジャスミン革命」で大きな役割を果たしたのは記憶に新しい。先の震災でも「ツイッター」の活躍には目を見張るものがあった。
安否の確認情報に始まり、どこで何が起き、どれだけの被害が出ていて、そこで何が必要とされているのか。電話もメールも通じない被災地でツイッターによる情報は縦横無尽に人々の間を駆け巡り、被災地の声をダイレクトに伝えてきた。

福島の原発事故では旧来のメディアが情報統制を敷く中、海外の専門家らの客観的な分析が「ユーチューブ」上に逐次公開され、対策の初動の悪さに端を発した放射能汚染の被害から難を免れた人たちも数多くいたと聞く。
中国の高速鉄道事故でも「微博(ウェイボ)」と呼ばれる中国版ツイッターが大活躍した。鉄道当局の事故処理に対して100万人以上のユーザーが非難の声を上げ、検証作業の方針を転換させる原動力になった。
世論を動かすツールとして今やソーシャルメディアは新聞やラジオといった旧来のメディアよりもそのスピードとリアルさにおいてより有効なものになったと言えるのかもしれない。

しかし、ソーシャルメディアには負の側面も数多くある。
まず、匿名性が基本なので情報の信憑性を誰も担保することができない。勘違いや早とちりによる偽情報やデマは日常茶飯事のことだ。中には一部の心あらぬ者たちの煽動デマが暴力的デモ集団を作り出すこともある。つい最近起こったロンドンの暴動などはその典型的な例だ。

資本主義の社会というのはこのように内側の価値と外側の価値を一致させないように働く仕組みを持っている。あなたが自分の内側で何を考え、何を語り、何を夢見るのも自由だけれども、一歩、心の外に出るとそこではお金がなければ何もできないので、「まずはお金から」という発想にいくように仕向けられる。
しかし、一度その選択をしてしまうとあなたが本来もっていた価値感は必ずと言っていいくらい犠牲になる。「生活のためには仕方ない」「理想はそうだけども現実は~」といったような定型句があたかも人生の当たり前であるかのように仕立て上げられてしまうのだ。

さらに問題なのはそのスピードだ。
「情報は迅速に」とは言うものの、情報の流れがあまりに早すぎると人間の脳の処理能力の方がついていかない。特にツイッターなどは情報を単なる表層として扱うので、見る側は思考ではなく感情で反応し、本来なら十分な時間を経るべき議論になるところが感情の応酬に終始し、結果として「炎上」するようなことも起こる。情報の過剰なスピード化は人間を理性的というよりはむしろ感情的な動物にしてしまうのである。

ソーシャルメディアが持ったこうした弊害の中でよく指摘されるのが「情報リテラシーの向上」というやつである。
情報リテラシーとは数々ある雑多な情報の中から有用な情報を読み取る力という意味だが、これだけ雑多な情報が膨大に溢れて来ると有用な情報を読み取るどころか、その「有用さ」とは一体何なのかさえも分からなくなってしまう。その意味で言えばソーシャルメディアは情報の価値を抹殺するために出現してきた情報消去装置と言えないこともない。

元々、情報とは「information=内なるかたちを作る」の意であり、日本語としては心を告げ報せることを意味する。心を相手に告げ知らせることによって、互いの心のうちに確固としたつながりを作ること。これが本来、情報に託された役割なのだ。
しかし、巷に溢れている情報は外向きなものが多く、モノやお金に関する情報や他者に対する非難、中傷がほとんどのように思える。便利さや富の追求の中からは心は生まれないし、心が生まれなければ本当の情報も生まれない。

結局、世の中に流れているのはほとんどがニセの情報だということになるのだろう。だからせめて、自分からは本当の情報を発信したいといつも思っている。外でつながる以前に内でつながっていなければ、社会には何の意味も見い出せないのだから。

2011年9月-ブロッサムNo.45

価格の時代から価値の時代へ

脱原発と脱自分

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