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半田広宣特別コラム

知られざる月の不思議な力



知られざる月の不思議な力

忘れ去られた月の暦

まもなく、お月見の季節がやってくる。今年の中秋の名月は10月1日に見ることができるらしい。
もともと中秋とは読んで字の如く、「秋の真ん中の日」のことを意味しており、これは旧暦では8月15日の十五夜の日に当たる。古代中国ではその日を中秋節として祝い、それが平安時代に月見などの習わしを含めて日本に伝わってきたそうだ。平安の貴族たちは淡い月下の下、酒を酌み交わしては、月明かりが醸し出すその風情を詩歌や弦楽とともに楽しんだのだろう。
しかし、令和に生きる今の日本人にはそんな眼差しで月を見ている余裕などない。旧暦と聞いても、ほとんどの人がピンと来ないに違いない。

旧暦とは太陰暦のことで、一言でいうなら、月のリズムに合わせた暦のことを指す。月は約28日の周期で地球の周りを一回まわっている。1年は約365日なので、それを28日で割ると、365÷28=13(+1)ということになり、月は1年の間におよそ地球の周りを13回廻っている。
だから太陰暦では1年は12ヶ月ではなく、13ヶ月になる。考えてみれば、これは現在使っている太陽暦(グレゴリオ暦)よりも遥かに理に叶った暦だということがすぐに分かる。
というのも、夜空に昇った月の満ち欠けの状態を見るだけで、その日がおよそ何日かが誰にでも分かるからだ。
太陰暦とは、その意味で自然のリズムと一体となった暦でもあったのだ。裏を返すなら、人々は太陽暦の導入とともに、自然からまったく切り離された時間の中を生きるようになったとも言える。

日本の太陰暦から太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦は明治五年になされた。福澤諭吉など進歩派の知識人たちが日本を脱アジア化させ、近代化を進めるために太陽暦への改暦を強く支持し、明治政府は大急ぎで改暦への法改正を整えたという。

現在、中国や韓国など他のアジア諸国ももちろん太陽暦を公的に使用しているが、祭事などは旧暦をもとに行っている。イスラム諸国も生活や宗教上のしきたりの基盤は太陰暦のままだ。日本ではお盆も正月も太陽暦に切り替えてしまっているので、若い人たちの中には太陰暦の存在さえ知らない人もいる。

人間による自然界の支配

昔から、月は「太陰」とも呼ばれ、「太陽」に対して自然の中の隠れた生命原理を司る力の象徴とされてきた。その意味で言えば、太陰暦から太陽暦への移行は「自然に従属した人間」の時代から、「人間に従属した自然」の時代への変化だったと言い換えてもいいように思う。

太陽暦の支配とともに、人間が自然を我がもの顔で支配する時代が到来してきたということだ。実際、私たちは、もはや自分が自然の一部であるということを忘れ去り、自然を自分と切り離して対象化し、生活に役立てるための単なるエネルギーや資源としてしか見なくなっている。森林は農地拡大のために焼き払われ、河川は発電のために堰き止められ、植物たちや動物たちは遺伝子操作によって人間に都合のいいように変形されている。私たちは一体何をやっているのか——。

いくら科学が発達を遂げようとも、自然がそのすべての秘密を人間の前に曝け出すことは決してない。なぜなら、科学にとっての自然は、あくまでも目に見える自然に過ぎず、自然の本質は目に見えない世界にあり、それははるかに懐の深いものでもあるからだ。
たとえば、海洋生物のほとんどは月のリズムに合わせて産卵を行い、人間の女性もまた「月の物」と呼ばれるように、月のリズムに合わせた月経周期を持っているが、科学ではその理由は分からない。月は、目には見えない自然力のシンボルのようなものなのだ。

また、コンピュータテクノロジーの進歩がもたらしたネット社会の生きづらさなどの影響もあるのだろう。最近では、月が漂わせる神秘的な優しさに心の癒しを求める女性も増えてきているようだ。月光浴などが人気なのもそのためだろう。かのクレオパトラも美しい肌を作るために頻繁に月の光を浴びていたと聞くが、月の光には科学では解明することができないような浄化力が秘められている。
実際、男性の私でも月をしばらく眺めているだけで、ストレスが軽くなり、不安感や憂鬱な気分を解消してくれるように感じる。その柔らかな感覚は、愛する人が側に付き添ってくれている感覚と似てなくもない。月の光には太陽の光と違って、人間の無意識の奥深いところまで染み込んでいく何かがある。

5Gの普及化とともに、これから私たちの生活環境ではますますデジタル化が進んでいくことだろう。それによって、人々がますます自然から遠ざけられていくことはまず間違いない。その遠退きが私たちの体や心の健康を今以上に害していく結果になることは、しかと心に止めておくべきだ。

PCや携帯が放つ人工的な光を見すぎたと思ったときは、自分が自然の一部であることを思い出すためにも月の光を目一杯浴びることをお勧めしたい。中秋の月の光は格別だ。きっと、あなたにも母なる自然の記憶を送り届けてくれるはずである。

2020年9月-ブロッサムNo.81

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半田 広宣

半田 広宣Kohsen Handa

福岡県生まれ。1983年心身を健康にする未来型健康商品の開発・販売を始める。株式会社ヌースコーポレーション代表取締役。現在、武蔵野学院大学スペシャルアカデミックフェロー(SAF)。

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