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半田広宣コラム 「ヌースの時間」

カリスマのノーベル賞受賞に思う



カリスマのノーベル賞受賞に思う

今年のノーベル賞。生物学者の大隅良典氏が生理学・医学賞を受賞された。まずは祝福の言葉を送りたいところだが、個人的には日本人の栄誉よりも文学賞の受賞者に驚いた。なんとボブ・ディラン。最初は耳を疑った。授賞理由についてスウェーデン・アカデミーは「偉大なアメリカの歌の伝統の中で、新たな詩的表現を創造した」と説明している。

ボブ・ディランと言えば、わたしと同年代の世代にとってはフォークの神様と呼ばれた人で、かく言うわたしも中学時代には下手なギターをかき鳴らしながら彼の代表曲「風に吹かれて」を何度となく口ずさんだものだ。彼の歌詞はネイティブにも難解とされているが、ほとんどは体制に対する反発や皮肉で占められている。1960年代、アメリカがベトナム戦争へと突入していったあの時代、ギター一本抱えて反戦の旗手として立ち上がった言わばメッセージソングの草分け的存在のような人物だったと言っていい。文学賞なのだから、そういう彼の詩が評価されたということなのだろうが、なぜ、今、ボブ・ディランなのか。

若い頃、ボブ・ディラン好きだったわたしとしては、どうもこの受賞がピンとこなかった。当のディランも戸惑っているのではないか、そう思った。というのも、この賞の創設者であるアルフレッド・ノーベルはご存知のようにダイナマイトの発明者でもあり、兵器産業で莫大な収益を得たいわば世界的な武器商人でもあったからだ。反戦を歌い続けたディランがそんな人物が創設した賞を果たして有難く受け取るものだろうか。それに、ノーベル賞自体かなり政治的思惑が強く反映されている賞であることも彼は知っていたに違いない。
実際、今回のディランへの賞の授与も現在、アメリカで吹き荒れているトランプ旋風を静まらせるためのヨーロッパ側の意図が感じられると分析する人たちもいる。――以前のアメリカはどこへ行った。ボブ・ディランは常に社会や人種間の対立を乗り越えようと歌ってきたじゃないか、そのアメリカが、なぜ、トランプなのか――というように。

授与者の発表後、案の定、ディランはしばらくの間、沈黙を守った。賞の受け取りを拒否していたのか、それとも体制側の評価に戸惑ったのか、とにかく彼は何の反応も見せなかった。それが、先日、突如、賞の授与を受諾するコメントを発表した。「受賞したことを知り言葉を失った。この栄誉に感謝します」と。でも、正直何かピンとこない。というのも、ディランには受賞辞退が一番似合うと思っていたからだ。とにかく一抹の違和感が残る。

この違和感は、おそらく今の日本社会の風潮に対してわたし自身が感じている違和感に関係しているのかもしれない。わたしの若い頃はフォークもロックも世の中のあり方に対するプロテスト(抗議)の表現としてあった。若者たちは常に、大人が作り上げた社会に対して批判的だった。つまり、若いことそれ自体が世の中に対する異議や抵抗と成りえた時代だったのだ。

しかし、最近は世の体制を批判することを若者たちは好まない。むしろ、そういう人たちを逆にカッコ悪く見る風潮さえある。それは、若者たちに限らない。メディアも同じだ。昔のように体制批判を毒舌まじりにまくしたてる評論家はTVから消えた。多くの評論家は長いものには巻かれろ、といったような意見しか吐かない。世の中には多様な意見があっていいはずだ。そして、そういう意見が自由に言えてこそ社会は健全に機能していると言える。 ディランもディラン世代ももう老いた。できれば、若い人たちの中から新しいボブ・ディランが現れてきて欲しいものだ。

2016年12月-ブロッサムNo.66

トランプ旋風が灯す不穏な種火

デジタル空間と現実空間のはざまで

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