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半田広宣特別コラム

人間とは「考える水」である



人間とは「考える水」である

水と生命

世界最初の哲学者と言われるタレスの言葉に「万物の始源は水である」という有名な言葉がある。現代の科学者から見れば、何とも幼稚な考え方に思えるに違いない。
「いやいやタレス君、水というものは単なる水素と酸素の化合物であり、万物の始源なるものがあるとすれば、水ではない。」―科学者たちは口を揃えてそうタレスを諭すに違いない。
しかし、タレスが語っている「水」とは、決して現代科学が考えるような単なる物質としての水ではない。

「始源」はギリシャ語でアルケーと言い、アルケーとはすべてのものがそこから生じ、そこへと帰ってゆく生命の運動を司る根源的な霊の働きのことを意味していた。
つまり、タレスはすべてのものの生成・消滅を支配する究極の原理として「水」を語っている。分かりやすく言うなら、水を原初の霊の写し絵として見たということだ。

もちろん、このような表現は非科学的で信頼するに足りないかもしれない。しかし、科学的世界観に支えられた私たちの文明が行った、環境破壊の惨状を考えれば、水を私たちの心と繋がった何物かと見なす古代人たちの思考を一笑に付すこともできない。

生命は水なしでは生まれない。水は自然界のあらゆる生命現象を互いに結びつけ合うようにして循環し、地球上のすべての生き物たちの命を支えている。
視点を変えるならば、生態系自体が「水」という一つの生命体が作り上げた諸器官なのではないかとも思えるぐらい、水の運動そのものが生命全体の律動をイメージさせる。

一人の人間の体を見ても、この水が持つイメージは変わらない。人体の約7割は水で占められており、私たちの人体は水の袋と言ってもいいくらいだ。
パスカルの言葉をもじって言うなら、人間は「考える葦」と言うより、「考える水」なのである。

事実、思考の中枢を司る脳も脳脊髄液という液体の中に浮かんでおり、そのほとんどは水だ。体内の細胞にしてもそうだ。水は電解質を溶解させ、体温の調節、様々な物質の溶媒となり、人体内部のありとあらゆる生理活動に関わり、情報交換の媒介者として働いている。

心と身体は水を媒介している

「すべての病は心身症である」という言葉がある。これは俗にいう「病は気から」の今風の言い換えでもある。
東洋医学には「七情内症(しちじょうないしょう)」と言って、人間の喜・怒・思・憂・悲・恐・驚 の7種類の感情の変化が限度を超えたときに病が発症するという考え方がある。

今の時代、ストレスやネガティブな感情の蓄積が病気の原因になることを否定する人はいない。イライラが募って、つい胃が痛み出すなどの経験は誰にも身に覚えがあるだろう。

しかし、心と身体のこうした相関関係は経験的には自明なことではあっても、実際に意識の状態がどのような形で、人体の生理活動と関係を持っているのかということについて、まだはっきりとしたことは分かっていない。目に見えない意識と目に見える物質的な身体は一体どこで繋がっているのか。

この問題を深く考えたとき、やはりポイントとなるのは水のように思える。
というのも、先程言ったように、生体内の化学反応はすべて水という溶媒の中で起こっているからだ。およそ人体を構成するすべての細胞の活動は水の物理的な性質や化学的特性に全面的に依存している。水は体内の電気的な情報交換を安定化させる役割を担い、生理活動の基盤となっている。
生活習慣病や進行性の病気などの原因は細胞内のミトコンドリアが酸化ストレスにさらされることによって起こる化学変化にかかっている。最も有名な例は、皆さんもよくご存知の活性酸素の働きだ。

水は意識のアンテナ

活性酸素の一種と言われるヒドロキシラジカルは通常、細胞内が酸性寄りになったときに生成される。専門的な説明は省くが、通常、細胞内の一部の水分子は、H2О→+H+О-Hというようにイオン化されるが、この+Hが電子を持ったままH2Оから引き剥がされると、このヒドロキシラジカルが生成されてしまう。
活性酸素の発生プロセスは他にも色々とあるのだが、活性酸素の発生へと導いている根本的な原因は何かということだ。個人的には、ここに人間の意識の在り方が深く結びついているように思えてならない。

意識には私たちが自覚できる二つの方向性がある。それは言うまでもなく、外に向かう方向か、内に向かう方向かの二つだ。

外に向かう意識は、事物や他者について意識を働かせているときの状態であり、内に向かう意識とは、自分自身の心に向かうときの意識と言い換えていいだろう。
当然、外に向かえば、意識は情報や感情に振り回され、自分自身の主体性を失って受動的に働く。

一方、常に自分の心を見つめながら、外界の出来事とのバランスを保とうとしている意識は、自我の確立を果たした能動的な意識と言っていい。この受動/能動という意識の二つの方向性が活性酸素化か、水の正常なイオン化かという二つの方向にダイレクトに繋がっているのではないだろうか。その意味で言うなら、私たち人間はやはり「考える水」なのである。

2021年6月-ブロッサムNo.84

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半田 広宣

半田 広宣Kohsen Handa

福岡県生まれ。1983年心身を健康にする未来型健康商品の開発・販売を始める。株式会社ヌースコーポレーション代表取締役。現在、武蔵野学院大学スペシャルアカデミックフェロー(SAF)。

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