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半田広宣コラム 「ヌースの時間」

テレビスターの悲劇



テレビスターの悲劇

最近、テレビをほとんど見なくなった。以前のように興味がわかないのだ。
原因はなんだろうと考える。まずはテレビをつけるとだいたいAKBか芸人の番組である。チャンネルを変えると今度は決まってグルメ番組かクイズ番組だ。もちろん、テレビは娯楽装置なのだから何も高尚である必要はない。しかし、娯楽にも内容の質の善し悪しというものがある。

こうした最近のテレビ番組の質の低下がテレビ離れの風潮を作っているのかと言えばそれは違う。「最近のテレビはつまらない」という人が私の周りにもたくさんいるが、昔もつまらないと言えばつまらなかったからだ。つまり、拒否反応の原因は「つまらなさ」ではないのだ。

では何か。私が思うに、その原因は去年、福島で起きた原発事故に関するテレビ報道によるところが多い。テレビ局はニュースメディアであると同時に企業でもある。局側は当然のことながら自分たちの不利益になるような報道は差し控える。結果、知りたいときに一番知りたいニュースが流れてこないということが起こった。
そうした状況の中で、どうでもいいような番組ばかりがテレビの番組欄を賑わせる。その欺瞞がたまらなかった。それが拒否反応の発生源になっている。状況は今も変わらない。原発事故に限らず、経済問題、年金問題、介護問題と日本社会の行く末ははっきり言ってお先真っ暗である。

にもかかわらずTVは相変わらずバブルの絶頂期でもあるかのような番組ばかりが流れ続けている。アイドルや芸人を責めるのは酷だが、しかし、彼らのパフォーマンスにも日本全体が持ったこうした精神の歪(いびつ)さが反映しているのも事実だ。これには「見た目」がすべてといった今の若い世代の価値観も反映しているのかもしれない。
ルックスや服装がよくないと人間性までよくないかのように思わせる洗脳が今のテレビの世界の中にはある。「イケテる」人は「イケテない」人をイジリ、イジメられることがキャラとして定立する。そしてそれが笑いのネタになる。笑っている側の人間は完全な傍観者であり、そこに笑われる者の痛みはない。言わば、「イケてる」と「イケてない」の格差が昔のテレビよりも大きくなっているのだ。 まるで今の社会の構図のように。

しかし、表面だけ繕っていれば、裏は隠せるという時代はすでに終わりつつある。
経済、政治、学校、家庭など社会は今、その表面が剥がれかけてきている。テレビというメディアも残念ながら例外ではない。

昭和から平成にかけてテレビは日本人の価値観を一様化するのに大きな役割を果たしてきた。一家団欒の中心にはいつもテレビがあったし、同じ番組を見て話題を交わすことによってテレビが友人や世代間のつながりを保証していた時代もあった。
しかし、90年代に始まるインターネットの普及によって、今やテレビというメディアは完全にその使命を終えつつある。質のいい娯楽はYOU TUBEを覗けばいくらでもあるし、情報のライブ性はUSTREAMに勝るものはない。ニュースの迅速性に関して言えばTwitterが一番だ。

昔、バグルスというPOPグループのNo1ヒットに「ラジオスターの悲劇」という曲があった。TV(ビデオ)が登場してかつてのラジオスターは見向きもされなくなったといったような内容の歌詞だったが、もうすぐテレビスターが見向きもされなくなる時代がやってくるかもしれない。

2012年3月-ブロッサムNo.47

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