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半田広宣コラム 「ヌースの時間」

終末介護への想い



終末介護への想い

私には今年の10月で93歳になる父がいる。ニヶ月ほど前までは介護施設で穏やかに暮らしていたのだが、ひと月前に誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)を起こし、施設近くの総合病院に運ばれた。

誤嚥性肺炎というのは食べ物を呑み込むときに間違って器官の方に流れ込み、そこから雑菌が肺に入り炎症を起こしてしまう高齢者特有の肺炎のことをいう。
一旦、この症状が出てしまうと食べ物を口から食べさせることができない。そこで、病院では鼻腔からチューブで栄養を与えられることになる。 想像してみてほしい。食べ物を味わうこともできず、鼻には絶えずチューブの針が突き刺さり、呼吸も思うようにできない状況というものを。

わたしたち家族はこのような苦痛を父に与え続けることが忍びなく、病院側に胃ろうの手術をお願いすることにした。胃ろう手術とは胃に直接、栄養を流し込むために腹部に穴を開ける手術のことだ。胃ろうは鼻腔栄養よりも身体に負担がない。
それに、このまま父が鼻腔栄養のままであれば、肺炎が治っても今まで居た施設には帰れない。なぜなら、鼻腔栄養は専門的技術が要るために介護施設が行うことは法律で禁じられているからだ。このまま胃ろうに切り換えなければ、父は鼻腔にチューブを差し込まれたまま退院し、それ専用の療養型病院で余生を送ることになる。
さらに言えば、鼻腔栄養は呼吸を通じて気管の方に栄養物が流れて行くリスクも上がり、肺炎の再発が起こりやすくなる。度重なる肺炎は父にとっては致命的だ。家族としては胃ろうの手術を望むのは当然の選択ではないだろうか。

しかし、「どうしてもやれと言われればやりますが、それは倫理的にどうかと思います」と病院側は答えてきた。一体何を言われてるのか分からなかったので、わたしは担当の医師に「倫理的とはどういう意味ですか?」と問い返した。医者曰く、「これは国の方針でもあるのですが、胃ろうをすればもう植物人間も同然ですよ。そういう状態で長生きしても本人が喜ぶのかどうか、よくお考えになってみてはいかがでしょう」と言うのだ。それも半分怒ったように。

別に死を忌み嫌っているわけではない。父が万が一、安楽死を選び、また法律がそれを許すのであれば、それでいいと思っている。だが、苦痛をより多く与えながら死なせることの方をより倫理的だと考えている医者や、予算優先の国の考え方に欺瞞を感じてならなかったのだ。
大病院は一人でも患者を入れ替えたいし、国は医療費を削減したいのだから「長生きさせると医療予算を圧迫する高齢者は国庫の負担になる」と本音を語ればよかろう。それを倫理の問題などと言わないで欲しいのだ。

結局、兄弟全員で話し合って、父の胃ろう手術をやってくれる病院を探し、そこに転院させた。
しかし、それでも、どうも今ひとつわたしの心は落ち着かない。医者や国家の倫理観を問うのもいいが、結局、この一連の出来事の中で、自分の倫理はどうなのだ?という問題が突きつけられているのだ。
父の一番の望みは、長年、顔を付き合わせてきた家族に見守られてこの世を後にすることだろうから…。

2012年6月-ブロッサムNo.48

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