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半田広宣コラム 「ヌースの時間」

「分かりにくい」を経験する大切さ



「分かりにくい」を経験する大切さ

強烈に記憶に残っている映画がある。小学校のときだったろうか。
学校が休みに入ると、父は必ずと言っていいほど幼い私を映画館に連れて行ってくれた。当時、小学生を夢中にさせてくれる作品と言えば怪獣映画だったのだが、ある時突然、訳の分からない外国映画を見せられた。

最初は類人猿の映画かと思いきや、途中、宇宙空間に黒い石版のようなものが浮かび、宇宙飛行士がその中に吸い込まれて幾何学模様に輝く光のシーンが延々と続き、ラストは地球の上に赤ん坊が浮かんでいた。そんな作品だった。幼い私には、何一つ訳が分からず、その「分からなさ」が今でも強烈に記憶に残っている。「2001年宇宙の旅」という作品だった。

なぜ父は、こんな難解な映画を小学生の私に見せたのか。今考えれば、何となく理解できる。というのも、この映画で体験した絶対的な「分からなさ」が、その後の私を「考える人間」に成長させたことは間違いないからだ。

世の中には不思議なことがたくさんある。ここまで科学が発達した現代でも、人間は知ってることより知らないことの方がはるかに多い。何かを分かるということは、同時に何が分からないのかを知ることでもある――ソクラテスの「無知の知」だ。
私はこの映画体験によってこの「知」を身につけることができた。その意味で、「分からなさ」の体験というのは子ども、大人に限らず、とても重要なものだ。

しかし、今は「分かりやすさ」が徹底して求められる時代になっている。経済優先のビジネスライクな世界では「分かりやすさ」が最優先され、「分かりにくさ」はときに罪でもあるかのように扱われる。メディアなどはその最もいい例だろう。

TVでは視聴率を取るために「分かりやすさ」は絶対条件だ。しかし、その結果、面白くもない番組で埋め尽くされる。映画にしてもそうだ。今では「2001年宇宙の旅」のような作品が商業映画として制作されることはまずない。エンタメとして楽しめる単純なストーリーの映画だけがスポンサーから巨額の制作費を得ることができる。
この傾向は教育にも伝播している。教師は生徒に考えさせるための授業がほとんどできなくなっている。学校も父兄も受験合格のための分かりやすい授業だけを教師に要求するのだ。

こうした風潮はおそらく、PCや携帯の普及と無関係ではない。インターネットの普及以降、私たちは知らない言葉があればすぐにネットで検索し、それで分かったような気になる。こうした習性が身についてしまうと、物事を深く考えることが億劫になり、「情報を処理すること=考えること」だと思うようになって、一種の思考停止状態を作り出す。
データベース消費の社会では、最悪な場合、考える以前にデータの確認の方が優先され、データにないことは誤った情報だという勘違いさえ起こり始める。これは、言い換えるなら、人に物を考えさせないような時代になってきているということでもあるだろう。

人間の世界は決して機械のようには動いてはいない。そこには答えが決して出ない、問いというものもある。今までは、哲学や芸術といった「分かりにくい」ものがそのような問いを提出し、人間の内にある無限の可能性の扉を開こうとしてきた。考えるということは、こうした扉を叩き続けることだ。
その意味では「分かりにくいもの」が少しでも出回って、情報処理に慣れた現代脳をフリーズさせることも必要なのだ。「2001年宇宙の旅」が作られた60年代のような時代がもう一度やって来てほしいと願っているのは私だけだろうか。

2019年9月-ブロッサムNo.77

昭和、平成、そして令和に生きて

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半田 広宣

半田 広宣Kohsen Handa

福岡県生まれ。1983年心身を健康にする未来型健康商品の開発・販売を始める。株式会社ヌースコーポレーション代表取締役。現在、武蔵野学院大学スペシャルアカデミックフェロー(SAF)。

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