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半田広宣コラム 「ヌースの時間」

相撲道の順守とグローバル化の矛盾



相撲道の順守とグローバル化の矛盾

昨年の暮れから、元横綱の傷害事件に端を発した相撲界のゴタゴタが世間を騒がせている。特に貴乃花親方の理事選の話などは、出る杭をうつ日本のムラ社会気質がまたもやクローズアップされたかのような事件だ。いや「人間の」と言うべきだろうか。

事の経緯については詳しいわけでもないので、流れてくるニュースから憶測するしかないが貴乃花親方自身、以前から、協会の隠蔽体質には相当の不満を持っていたと言われている。おそらく、自ら相撲協会の理事となった後も、何度も改革を訴えてきたのだろう。しかし、内部の自浄作用が望めないため、自分の愛弟子が犠牲となったこの事件を通して、教会内部の腐敗を世論に訴えたいという気持ちが強かったのかもしれない。今回の騒動は貴乃花親方が世間に誤解されるのも覚悟の上で、自ら内部告発を行なったように見えないこともない。

名横綱初代若乃花と名大関先代貴乃花を叔父と父に持ち、凄まじいプレッシャーの中で平成の大横綱として相撲人生を送った貴乃花親方にしてみれば、相撲はプロスポーツというよりも、自身の魂の生き様そのものであったに違いない。貴乃花親方は、ある雑誌で「大相撲は神の領域を守護代するという意義があります。肉眼では見えないもの無形のものに重点をおき精進することにあると思います。」と書いている。文字にすると少々、大袈裟に感じるが、私にはこの言葉は大きく心に響くものだった。

実際、その昔、相撲は神事として執り行われていた。起源は古事記にまで遡るそうだ。天照大神が遣わした建御雷神(タケミカヅチノカミ)と大国主命の息子の建御名方神(タケミナカタノカミ)の間で行なわれた「国譲りの力くらべ」がその由来らしい。横綱が腰回りにつけている注連縄(しめなわ)は、神道では神域と外界とを隔てるための結界を意味し、神の依り代であることの証であったという。

つまり、注連縄を身につける横綱は神の象徴とも言える存在であり、いったん横綱となった力士には人々の模範となるような品格が求められる。だからこそ、外国出身力士、特に横綱の素行に関して、いろいろな議論が噴出してくるわけだ。

ただ、モンゴルの力士たちにも言い分はある。彼らはジャパニーズドリームを夢見て日本にやって来たのであって、別に相撲道に邁進するためにやって来たわけではない。彼らを責めるのも酷な話だ。

日本の伝統精神の瓦解は、今、政治、経済、教育に限らず、私たちの周りのあらゆるところで起こっていることでもある。日本人自体が自国の良き伝統精神をグローバル化する資本主義社会の中で忘れつつある。そんな中、周囲から一人相撲と揶揄されながらも、神代から続く日本の相撲の伝統、何より自分の相撲道を、不器用ながらに愚直に貫こうとする貴乃花親方の姿には、胸を熱くさせるものがある。

今年の初場所はジョージア(グルジア)出身の栃ノ心が優勝を飾った。日本人の新弟子志願者が年々、減少していく一方で、外国人力士の数は増え続けていくことだろう。相撲界自体が国際化を目指すのであれば、まずは力士たちを土俵に上げる前に、大相撲の歴史や意義について、今より十分な時間を取って教育してはどうだろうか。もちろん、そのときは、協会のお偉方にも参加してもらわなくてはならない。

貴乃花親方には、相撲道の生きた鑑となってリーダーシップを発揮していってもらいたいものだ。

2018年3月-ブロッサムNo.71

怒ることなくして和もまたあらず

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