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半田広宣コラム 「ヌースの時間」

価格の時代から価値の時代へ



価格の時代から価値の時代へ

最近はTVをつけると決まって日本のTPP(環太平洋パートナーシップ)参加の是非を巡って経済通の識者たちが喧々囂々とした議論を戦わせている。
「日本の農業は全滅する」「いや、このままで製造業は世界から取り残される」など。TVに登場する知識人というのはどうしてこうも人間の生きる価値や意味がすべて経済的問題の中に集約されているかのような話し方をするのだろう。

価値には自分が何を望んでいるかを水準とする価値と他者が何を望んでいるかを水準とする価値の二つがある。もちろん個々の人生は自分が望んでいることを実現していくためにあるのだから、本来なら、人生の意味は前者の価値を追求していくことにあると言える。
しかし、いかんせん資本主義社会ではあらゆる価値が一度貨幣へと換算されて交換されていくので、貨幣こそが万能の価値であるかのような錯覚に誰もが陥ってしまう。

本来、自己実現の手段の一つにすぎない貨幣が目的になってしまうと、人は当然お金を稼ぐことが人生の目的になり、必然的にお金儲けのために今度は他人が何を欲しているかという価値の水準に合わせて生きるようになる。経済発展と言えば聞こえはいいが、詰まるところ、こうした進歩、発展は欲望の他者化が生み出すものなのだ。
「お客様は神様です」「社会的ニーズを的確に見抜け」「今年のトレンドはコレ!」といったような企業のスローガンが如実に物語っているように、外の世界の動向を気にするばかりに自分が本来何を望んでいたのかを見失った人たちの社会ができあがってしまうというわけだ。

資本主義の社会というのはこのように内側の価値と外側の価値を一致させないように働く仕組みを持っている。あなたが自分の内側で何を考え、何を語り、何を夢見るのも自由だけれども、一歩、心の外に出るとそこではお金がなければ何もできないので、「まずはお金から」という発想にいくように仕向けられる。
しかし、一度その選択をしてしまうとあなたが本来もっていた価値感は必ずと言っていいくらい犠牲になる。「生活のためには仕方ない」「理想はそうだけども現実は~」といったような定型句があたかも人生の当たり前であるかのように仕立て上げられてしまうのだ。

ここで心に手を当てて、自分がほんとうは何を望んでいるかについて真摯に考えてみることが必要だ。
おそらくほとんどの人は「人生はお金じゃない」と考えている。心を許し合える人との精神的に満ち足りたささやかな暮らしがあればそれでいい。そう思う人たちがほとんどではないかと思う。相互理解、思いやり、共感。こうした価値には価格は決してつけられない。

誤解を恐れずに本質だけをずばり言えば「価格がついたものには価値はない」のである。これからの日本は放射能汚染という病を抱え、さらにはグローバル化のさらなる波に呑まれ、いい意味でも悪い意味でも政治、経済を含め既存の社会構造は崩壊していくことになるだろう。
こういうときだからこそ、お金で買えないものの価値を大事に守り抜いていく決意が必要だ。これは別にきれいごとで言っているのではない。わたしには実はそれのみが、これからの社会を生き抜いていくための唯一の処方箋に思えて仕方ないのだ。

2011年12月-ブロッサムNo.46

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