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半田広宣特別コラム

善意のクラスターを広げよう



善意のクラスターを広げよう

世界の終わりの始まり

コロナパンデミックの先行きがまったく見えてこない。国内では、1月7日に東京をはじめとする11都府県で二度目の緊急事態宣言が発令され、最初は2月7日までとされていた期間が3月7日までに延期された。

ふと気づけば、私たちはもう一年近くウィズコロナの生活を余儀なくされている。自粛からくる疲れや慣れのためだろうか、国や自治体がいくら行動制限を叫んでも外出する人がさほど減るわけでもなく、感染者数の減少になかなか結びつかない。
模範となるべき政治家たちが率先して夜の会食をコソコソとやっている有様なのだから、もはや国民に自粛を求めても真剣に聴く耳を持たないのは当たり前だ。感染力がより高い英国種や南アフリカ種、ブラジル種などの変異種もすでに市中感染が始まっているという話なので、コロナがもたらしたこの鈍色の曇り空のような鬱屈感は今年もまだ当分の間続くだろう。

それにしても、この長引くコロナ禍によって、人間の本性が浮き彫りにされていると感じるのは私だけだろうか。他人に思いやりを寄せる人ももちろんいるが、不安感や恐れからくる歪んだ正義心で、私的に他人を取り締まったり攻撃する人たちも少なからずいる。医療関係者に差別や偏見を持つ輩まで現れてくるのだから驚きだ。

「悪貨は良貨を駆逐する」という法則が人間社会にも当てはまるのなら、こうした人たちの存在が人の繋がりをバラバラにし、人間同士の信頼関係を失わせていくことになる。このような傾向が強まるなら社会そのものの土台が壊れていくしかない。

コロナが世界的に広がり始めた去年の3月あたりだったか、ニューヨークタイムスの記者が「私たちは世界の終わりの始まりをスローモーションで見ているのかもしれない」とかなり悲観的な記事を掲載していた。
当時は大袈裟な表現だと思ったが、世界の終わりというものが人間社会の崩壊を意味するものなら、それは当たらずとも遠からずと言ったところだろうか。しかし、奇しくもコロナによって曝き出されたこの社会の脆弱性には、もともとこうなるべき伏線もあった。

21世紀になって物凄いスピードで経済のグローバル化が進み、それに伴い世界各国で貧富の差が拡大した。こと日本に限るなら、一億総中流などと言われていた時代はとっくの昔に忘れ去られ、バブル崩壊以降のこの20年間というもの、国民の貧困率は上昇の一途をたどり、今や完全な格差社会になっている。国民一人当たり当たりのGDPにしても、90年は世界第2位だったのが今や20位以下にまで後退し、最近はイタリアや韓国にも抜かれてしまった。

今回のパンデミックの追い討ちの中で真っ先にその煽りを食らったのは、失業や賃金カットの中で苦しむこうした貧困層の人たちだ。これは世界各国共通している。
アメリカの場合はその煽りが中西部の白人の労働者階級に集中し、今年の1月に起きた大統領選挙をめぐる合衆国議事堂の不法占拠事件にしても、そうした人々の不満が募り募って起こったものだ。今後、アメリカではますます都市部の富裕層を中心としたリベラル派と地方の貧困層を中心とした保守派の対立が激化していくことだろう。
もしこの先、アメリカが国家的な分断を起こすことにでもなれば、それは民主主義の完全な終焉を意味することになる。今や近代が作り上げた社会の理念が完全に崩壊していってる時代なのだ。

破壊されていく公共空間

今回のコロナ禍では対策の一環としてテレワークが推奨され、なかなか進まなかった国や企業のIT化が短期間のうちに進んでいる。デジタルソリューションという言葉があちこちで飛び交い、社会の課題に対してテクノロジーを取り入れればその多くが解決されるという信仰を国も率先して取り入れ始めた。

ソリューショニズム(デジタル技術で社会の課題を解決していくという考え方)は、一般的にはポジティブなものとして受け取られがちだが、IT社会が人類に幸福をもたらすという幻想は早く捨てたほうがいいように思う。むしろ、社会のIT化が進めば進むほど、社会が制度やシステムだけでは成り立っていないということがはっきりと分かってくるだろう。

社会とはあくまでも人の心の繋がりが作るものであって、人々の間に共感の絆がない限りうまく機能することはない。
例えば、昔は好きな音楽を探すにも同じ趣味を持った友人や知り合いがいて、彼らを通して新譜を教えてもらったりして、そこには共感性の伝達があった。今はそれがビッグデータを通して勝手にメールで送られてくる。デジタルテックはこのように徹底して社会をパーソナライズしていくために逆に公共空間を破壊していく。

こうした現状において、私たちに一体何ができるのだろうか?
せっかく家族が一つ屋根の下で過ごす時間が増えたのだから、それぞれの家庭で来るべき社会の理想的なビジョンを語り合ってみてはどうか。どのみち、コロナ以前の社会はもうやってこない。
例えワクチンが全世界に行き渡ろうとも、コロナウイルスは死滅しないし、さらなる変異も続いていくことだろう。その意味では、私たちはこの資本主義の暴走に対して立ち止まるチャンスを与えられている。

もはや経済中心の偽りの社会の中に生の中心を置くのではなく、自分たち自身の魂のために生きること。
このような「危機の時代」だからこそ、善き生のウイルスからなる善意のクラスターを広げよう。グローバル化によって私たちが失ったものを取り戻しながら、行き過ぎた資本主義に対するささやかなる抵抗を開始しないといけない。

2021年3月-ブロッサムNo.83

人間とは「考える水」である

私たちはなぜ眠るのか

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半田 広宣

半田 広宣Kohsen Handa

福岡県生まれ。1983年心身を健康にする未来型健康商品の開発・販売を始める。株式会社ヌースコーポレーション代表取締役。現在、武蔵野学院大学スペシャルアカデミックフェロー(SAF)。

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