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半田広宣旧コラム 「ヌース的人生のススメ」

ウイルス恐怖症というウイルス



このところメディアでは宮崎で発生した口蹄疫に関するニュースが連日のように流されている。5月30日現在、殺処分された牛と豚の数は総計で約16万頭以上に昇っている。すでに日本は国際機関である「国際獣疫事務局(OIE)」から家畜伝染病が発生した「非清浄国」に認定され、輸出は壊滅状態になりつつあるという。

輸出だけではない。清浄国から外されれば、今まで国内の家畜業者を保護していた食肉の非関税障壁の維持も無理になる。いずれ非清浄国からの輸入が解禁され国内に安い食肉が大量に出回ることになるかもしれない。そうなれば食肉価格は大幅に値下がりし、国内の家畜業者は二重に打撃を受けることになるだろう。冗談抜きで日本の家畜農家は姿を消すかもしれない。本当に気の毒な話だ。

しかし、ここで単純な疑問が頭をよぎる。門外漢であることは十分承知の上での発言なのだが、どうして殺処分なのだろうか。疑わしきものはすべて殺す。ほんとうにこういった措置が最善策なのか疑問が残る。ネットでいろいろ検索をかけてみたところ、この口蹄疫に感染した豚や牛の肉を食べても人間にさしたる悪影響を与えることはまず無いとある。

さらに、発症した牛自体も成牛であれば死に至るのは稀で、通常1~2週間で回復するというのだ。これは人間で言えば、はしか程度の病気にすぎない。なぜ打ち出される対策群の中に「回復を待つ」という選択肢がないのかが不思議だ。ひょっとすると問題を深刻化させているほんとうの原因は、資本主義社会が作り出した消費者の食に対する奢りではないのかとも思えるのだ。

一度病気を患った肉など食べたくないという気持ちはわたしにもあるが、しかし、それは決して食べられない肉ではない。戦後の食料不足のときであればその程度の肉なら皆、食用にしていたかもしれないではないか。人間の食の快楽を保護するために何十万という家畜たちを虐殺するというのは少し行き過ぎた措置のようにも思えるのだ。回復を待つことも一つの可能性として議論すべきではないか。

去年の新型インフルエンザ騒動の例を挙げるまでもなく、わたしたちはあまりにウイルス感染に対して過剰に反応し過ぎてはいないだろうか。ウイルスと聞くと皆、不安を抱くクセがついている。

今回の口蹄疫騒ぎでも「宮崎県産は使用していません」といったシールを貼って食肉や加工品を販売しているスーパーなどがさっそく出てきているという。これでは口蹄疫が人体にも悪影響を及ぼし、食べたら病気になってしまうかのような錯覚を消費者に与えてしまう。ウイルスなんてものは発見されていないものの方が発見されているものよりはるかに多い。いろいろなウイルスがおそらくそこらじゅうにウヨウヨいるのだ。

目に見えないものにあまりに神経質になりすぎて、不安感と恐怖心を必要以上に増長させることも、また、別の意味でのウイルス感染であることを肝に銘じるべきである。

2010年6月-ヌース通信No.40

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