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半田広宣旧コラム 「ヌース的人生のススメ」

こんにちは赤ちゃん



昨年結婚した姪っ子に、先日、赤ん坊が生まれた。ボクの姉は初孫の誕生にお産前からもう大忙しで、おめでたいことではあるのだけど、その喜びもつかの間、産婦と赤ん坊の世話で疲労困憊して大変そうだ。

子供を産むということ。それは男には絶対に分からない。一つの小宇宙からもう一つの小宇宙が生まれてくるのだから、とんでもない奇跡だ。
もし神様がいるなら神は絶対女だな。いや、妊娠している女性というのは両性具有なんだ。と、なんだかんだ出産の神秘に思いを馳せていたところ、例の柳沢厚生労働相の「産む機械」発言がいきなり飛び込んできた。僕は女性ではないが、やはり出産で大変な思いをする女性たちに対してあまりに思慮を欠いた発言だった。

しかし、もっと品格がないのは、この失言に、まるで鬼の首を取ったかのように盛り上がっている野党の議員たちだ。さらには「産む機械」発言をめぐる与野党の応酬を面白がって報道するメディア。最近は何のニュースでもそうだが、メディアの無意識的な悪意がたちまちのうちに多くの人に伝染し、それが再びメディアにフィードバックされるという気味の悪い循環が起こっている。「産む機械」どころか、世の中、妬む、恨む、キレる、のオートメーション化が進んできてはいないだろうか。

もちろん、女性は産む機械などではないが、機械的に子供を生む女性たちがいるのも事実だろう。その裏には機械的に子供を生ませる男性たちもいる。ここで「機械的に」というのは「無自覚に」という意味だ。
周囲が就職しろというから就職する。結婚しろというから結婚する。子供を産めというから産む。考えてみれば、自覚的に自己を確立させた人間として生きるということはそれ自体とても難しい。昔は無自覚に生きても、人のつながりや優しさでどうにかなっていたのだと思う。まだ人々の心の中に魂の価値が生きていたからだ。

今はもう違う。大家族制も地域共同体も、家族主義的な企業も崩壊し、人生を無自覚で生きることはとても難しい。出産にしても同じだ。激増する育児ノイローゼや児童虐待の数を見ればそれは分かるだろう。少子化問題もそうした世の中の生きにくさを自覚した女性たちの賢明さの現れだということもできる。

しかし、それも元を正せば、戦後の日本人があまりに物質的に快適な生活を追い求めてきた長年のツケだ。いいところに住んで、いい服を着て。ジャパン・アズ・ナンバーワン。しかし結果はどうだろう?たとえ高級マンションに住んでも、一流ブランドで身を包んでも、グルメを散策しても、一向に幸せじゃない自分がそこに居るのではないだろうか?

僕ら日本人はひょっとすると、全員が「貪るだけの機械」に成り下がってしまっているのかもしれない。機械はいつもひとりぼっちで淋しい。そして古くなれば錆び付いて廃棄所に捨てられるだけだ。少子化問題と老人問題は同じコインの表と裏である。

新しく生まれてくる子供たちを「貪る機械」にさせないためにも、僕らはここでひと踏ん張りしなければいけない。無自覚を自覚し、これからの未来につながりや優しさをどうやって回復させるか、その課題に向けて行動を起こしてこそ、はじめて人間になれる。 こんにちは、赤ちゃん。わたしがママよ~とにこやかに歌っていたあの時代を取り戻そう。

2007年3月-ヌース通信No.27

花とミツバチ

世界にたった一つだけの野原

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