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半田広宣旧コラム 「ヌース的人生のススメ」

お金ではなく真の希望を



ここのところ定額給付金に関連したニュースがメディアを騒がしている。給付金政策は経済政策であって福祉政策ではない。だから、国民一律とすればよかったものを、所得制限という枠を設けるものだから、事が面倒になってしまった。

おまけにこの所得制限のラインが1800万円というのだから。そんな高額所得者が一体、日本の人口の何パーセントいるというのだろうか。そんなところで線を引いても節約できる総額は微々たるものだろうし、年収一億のお父さんがいてもその奥さんと子供は貰えてしまう。

さらにその給付手続き財源についても大いに問題あり。聞く所によると、この給付金には「特別会計の金利変動準備金」が当てられるという。このお金、要は国債への返済用のお金である。それに手をつけるわけだから、その分いつかは増税で搾取されることになる。これで喜びなさいと言われても無理な話である。私たち国民がとにかくお金を使えば内需は拡大し景気はよくなることだろう。しかし景気がよくなったからと言って社会が安寧を得るわけではない。

昭和世代の私としてはむしろお金が社会に出回れば出回るほど世の中は不幸になっていると感じる。国民が今政府に求めているのはお金じゃなく理念だ。私たち一般庶民の現状は明日の食い物が欲しいというよりも、将来に対する不安感の方が大きい。老後は大丈夫か?年金はちゃんとくるのか?親の介護はどうするんだ?そうした漠然とした不安が少しでも取り除かれるのであれば、数万円のお金が入らなくてもいいと思う。

国民のお金を2兆円も借りるのであれば、全額福祉設備の充実化のために当てるべきだ。「たとえ大恐慌が起こったとしても皆さんの最低限の生活は保証します」という国の力強い保証があれば、私たちはパニックなんか起こさない。要は希望なのだ。今この国の未来に希望が見えないのは、政治に理念がないからである。

ついでに一事業者として金融強化法についても一言いいたい。金融強化法でいくら銀行に資本注入しても、銀行はリスクの少ない企業にしか資金を貸してくれないだろう。結局そのあり余ったお金は、また国際的な投資に回り、もしも世界規模の同時株安が起これば利益が出るどころか大損をする。そして、また損失補填のための公的資金の投入を要求してくるという寸法だ。

私としては怒りの矛先が収まらないが、このシステムを底辺で支えているのは、資本主義社会の貨幣至上主義という価値観なのだから、何も銀行や政府だけに責任があるわけではない。結局は一人一人の考え方がマクロに反映されているだけの話。経済最優先の価値観から早く卒業したいものだ。

2008年12月-ヌース通信No.34

経済が終わる日

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