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半田広宣旧コラム 「ヌース的人生のススメ」

世界にたった一つだけの野原



全国の小中学校でのいじめやそれを苦にした子供の自殺が後を立たない。最近になって高校の必須科目の未履修問題も噴出し、日本の教育現場の荒廃ぶりが大きく露呈してきている。政府は今年4月から教育基本法の改正を諮り始め、その基軸に「愛国心教育」を盛り込もうとする動きを見せ始めた。そんな世情を反映してか、去る11月11日、フジテレビが「たけしの日本教育白書2006」というスペシャル番組を6時間もの枠で放映していた。

ビートたけしと久米宏と石原東京都知事が論戦を繰り広げるというので興味を持って見ていたのだが、何とも盛り上がりに欠ける内容だった。
石原都知事は例によって父性復権を叫び、最近の日本人は脆弱だとか、緊張感が足りないとか、批判的な意見ばかり。それに対して久米宏はメディア人らしく石原都知事の考え方を「時代に対する逆行だ」と言って執拗に反駁する。わたしはどちらかと言えば、久米派なのだが、かと言って久米宏の意見に何か建設的なものがあるわけではない。

戦後の日本はアメリカの傘の下、平和ボケ一色で経済的発展を遂げて来た。物質主義に染まった日本人の品格は確かに落ちに落ちたかもしれないが、戦前に比べれば遥かにいい国になったのは確かだろう。言論、表現、信仰それぞれの自由は憲法で保証され、もはやそこに露骨に国の権力が介入してくることもない。
しかし、その代償として共同体全体をまとめる理念は消え去ってしまった。そうした自由尊重のツケが今や教育現場に限らず、家庭、職場、地域社会などにまとめて返ってきている。
しかし、こうした社会の現状がすこぶる不健康なものに映ったとしても、わたしたちは過去に戻るべきではない。国家や民族という血のつながりの中に理念的価値を見るということは、たとえ他の民族には許されたとしても、あの戦争を起こしたと思われている日本人はやはりやるべきではないだろう。またそれだからこそ、日本人には国家や民族を超えた何か新しい価値の指標を見出せる可能性がある。
国家や民族を超えた価値とは何だろう。今的な人は「世界にたった一つだけの花」としてのひとりひとりのかけがえのない「わたし」の生命の尊厳を説くかもしれない。しかし、それではやはりダメなのだ。

たった一つの花なんて実のところどこにもありはしない。すべての花はつながっている。生命の連帯は宇宙そのものの中にある。倫理や道徳の根拠を宇宙の律動そのものの中に見出すような哲学や思想を作り出すこと。
そう、世界にはたった一つだけの野原しかないのだ。その野原を探し出すことが何よりも先行されなければならない。

2006年12月-ヌース通信No.26

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