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半田広宣旧コラム 「ヌース的人生のススメ」

キズの上のタマ



朝青龍問題が世間を賑わしている。そもそも、横綱が怪我の療養中にサッカーに興じたことがどうしてこれほど大きな問題にならなくてはいけないのか、正直、僕には理解不能である。もちろん、横綱に多少の思慮の足りなさはあったかもしれない。しかし、それを言えば、この騒動にからむ一連の関係者たちの言動の方も問題が多い。

たとえば、師匠の親方はどうだろう。相撲界のような古いしきたりの世界で言えば、弟子の過ち即ち師匠の過ちではないのか。他の親方衆の非難から弟子を擁護し、自らが潔く責任を取るというのがスジだ。にもかかわらず、責任逃れに奔走しているように思えてならない。

相撲協会はどうだろう。朝青龍はいろいろとトラブルの多かった横綱とは言え、ここ数年、大相撲人気を一人で背負って来た平成の大横綱である。一応の処分は協会側のメンツもあるだろうから致し方ないとしても、これだけ長引く世間の風評からどうして関取を守護してあげようとしないのか。自分たちが推挙した横綱ではないか。

そして、毎度のことながら、最も問題とされるべきは現在のメディアの体質だ。視聴率を上げるためにニュースは徹底してエンターテインメント化される。より強度がある見せ方をするために過度な演出が施され、視聴者の感情に訴えよといわんばかりに、より扇情的に編集された映像が流される。
今回の件でもその手法は徹底していた。まずは朝青龍が笑顔でサッカーに興じている様子が流され、その後すぐに憮然とした表情で帰国する場面が続く。そして相撲関係者の遺憾の言葉が並べ立てられ、キャスターの皮肉めいたコメントで締めくくられる。こんな構成じゃ「怪我を口実に巡業をさぼって遊び回っていた横綱」というイメージだけが視聴者に残るに決まってる。

僕が見たニュースでは、朝青龍の怪我が腕部であったことや子供たち相手のサッカーが日本とモンゴル両政府の親善行事であったことなど、横綱に同情的な報道をしていた番組はとても少なかったように感じた。
当日、一緒にいた中田英寿氏は、朝青龍が腕の痛みで皿を持つのもままならないと訴えていたと自分のブログで証言している。朝青龍が好き好んでサッカーをやったわけではないことだけは事実のようだ。そこで再び思う訳だ。一体、横綱の何が問題なのかと。この騒動がきっかけで、万が一、横綱が引退するようなことになれば、何とも気の毒な話である。

言うまでもなく、メディアとは僕ら一人一人の心の鏡である。この問題がこれほどの騒ぎになったのも間違いなく現代日本人に巣食っているイジメ体質からだろう。もっとおおらかに伸び伸びと個人の個性を尊重できる社会は作れないものか。タマの上のキズを粗探しするのではなく、キズの上にタマを見よう。人はすべて生身の人間なのである。

2007年9月-ヌース通信No.29

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