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半田広宣旧コラム 「ヌース的人生のススメ」

学級崩壊から学校崩壊へ



先月、少子化の問題がいろいろなところでクローズアップされるようになってきたが、少子化によって競争が激化するのが私立の学校である。先頃、関西のある二つの名門校が新しく小学校を開校するニュースが流れていた。児童確保のための苛烈なサービス競争の在り方が話題になっていたのだ。

両校の児童勧誘の一番の売り文句は、「給食が一流ホテルから供給される」というものだった。もちろん、これは児童向けのアピールというよりその保護者に向けてのPRなのだが、ついにここまできたか、と半分あきれ果ててしまった。
ニュースでは、その他にも、カバンや制服にブランド品を導入していることなどいろいろ紹介されていたが、いよいよ、学級崩壊ならぬ学校崩壊の時代がやってきたことを実感した。

90年代半ばに不登校の問題が浮上してきて以来、教育の危機が叫ばれるようになって久しい。相も変わらず、雑誌や新聞のコラム欄では、教育という文字と言葉だけが一人歩きしているが、一体、何を「教え育む」ことが教育なのだろうか。

インターネットの時代となった今、子供たちは様々な知識を家に居ながらにして何不自由なく手に入れることができる。いや、ヘタをすると子供たちの方が親たちよりも情報通で、時代の状況を的確に学習している場合も少なくはない。そんな時代にあって、大人たちが子供たちに教えてやれることとは何なのか。それが分からなくなってしまっている大人があまりに多い。つまり、子供を教育する立場にある大人たちが壊滅の危機に瀕しているのである。学校崩壊の原因の本質はここにある。

次世代へと言い伝えて行くべきもの。それは普遍的な価値である。どうしたら金持ちになれるかとか、どうしたら人より優位に立てるとか、そんなあざとい処世術などではないことぐらい今さら言うまでもない。金持ちになろうと、人を支配できようと、人はそれによって幸福を感じることはない。重要なのは人それぞれの心の中に生きている価値を作り出すことなのだ。そして、この価値は他の人との心の触れ合いの中でしか生まれない。
なぜなら、人とは「わたしとあなた」で生きている生き物だからだ。相手の幸福があってはじめて自分の幸福もある。そろそろ、この単純な世界法則に気づいてもいい頃ではないか。

計算力が落ちたから算数の時間を増やすとか、正しい日本語が使えなくなったから国語の時間を増やすとか、そうした些末な問題を云々する以前に、文部省は時間割の半分を割いてでも、この「わたしとあなた」という新教科の設置に真剣に取り組むべきだ。もちろん、そのときは役人も先生も親たちも、児童たちと一緒に一生徒となって、授業への参加を義務づけることが必要だが――。

2005年9月-ヌース通信No.20

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