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ヌース対談 高橋暢雄氏×半田広宣

ヌースの理念と学術と現代社会の問題点



高橋暢雄氏×半田広宣

人のつながりを作っていくことが学術の要諦です

半田 広宣/ヌースコーポレーション代表

半田広宣

私は物質と精神の統合理論としてヌース理論(現在ヌーソロジー)というものを十数年来、研究してきたわけですが、高橋さんのような大学関係の方から、それも学長という立場でいらっしゃる方から声をかけて頂き、とても光栄に思っています。
まず、高橋さんがヌースの考えに関心を持たれた理由をお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?

高橋 暢雄氏/武蔵野学院大学学長

はい、私は政治思想の研究を専門としているのですが、それ以外にも心理学や思想、社会学など一通りの知見に触れてきたつもりです。その中で感じることは、現代の思想というのは「大きな物語」を見失っていて、分類や細分化を求めすぎているということですね。分類も非常に大切ではあるんですが、そこにばかり目が行ってしまうと全体に通底するものが見えなくなってしまいます。

そんな懸念を抱えている中で、半田さんのヌース理論にひょんなとこから出会い、大きな可能性を持っているのではないかと感じたのです。 とりわけ、人間が社会との関係よりも自分自身の意識、気持ちの持ち方が思想的なものに反映するというヌース理論の考え方が非常に衝撃的でした。

この考え方であれば非常に多くの分野の通底に流れるものを見極められる理論になりうるなと感じまして、大学という場を通じて、より研究を深めていただきたいなと思った次第です。

高橋暢雄
半田広宣

ヌース理論はかなり観念的な理論なのですが、私は左手に理論的な研究、右手に実践という形で物事をすすめていかないと意味がないと思っているので、実践という面において、ヌース理論の現状からとにかく現象と結びつく技術を引き出してきて、その技術を経済的な活動の中に取り入れていく、という方法をとっています。
そういう形で学問と産業というと大袈裟ですが、思想的なものを経済的なものと結び付けていく考え方というのは、高橋さんからご覧になられていかがですか?

そうですね。例えば大学で学術を行っているということについては、これは教育という側面が確かにあるのですが、一番大きいのは大学というものが社会の公器であるということだと思うんです。
学術そのものがすぐに社会の役に立つわけではありません。しかし、大学が社会の公器であれば、そこで動く人間を通して何らかのフィールドに影響を与えるようになります。

また、本当はそうした人のつながりを作っていくことが学術の要諦だと思っています。その意味では、半田さんが今までやってこられた活動は学術の場での研究ではなかったかもしれませんが、社会にご自身の研究を還元するために企業としてフィールドを持って実践しておられるというのは、むしろイメージ的にわたしの学術観に近いものがあります。

高橋暢雄

便利さの追求が人のつながりを失わせている

半田広宣

ヌース理論の基本というのは、精神と物質の統合というところにあります。
なぜわたしがこのようなことに関心を持ったかと言うと、1980年代ぐらいだったか、環境破壊の問題や社会における人身の荒廃の問題など、近代社会が生み出した負の遺産を多くの人たちが自覚し始めたときに、ニューサイエンスという運動が起こって結構大きな広がりを見せたんですね。その洗礼をまともに受けたんです。

当時のわたしにとってニューサイエンスが新鮮だったのは、科学の内部から科学自身に対する反省みたいなものがおこり、科学自身がこころについて考え始めたということでした。それこそ科学主義や物質主義に対する批判というのは昔からありましたけれども、科学自身が物質だけではなく人間の精神と物質のつながりに目が行き出したということにとてもロマンを感じました。

もっともこうした姿勢を持ったのは一部の科学者だけで、結果的に90年代や21世紀になってからは、デジタル社会というかコンピュータ科学が急激に発展してきて、また精神や心と物質のつながりに関心を持つ人は少なくなりました。結局、数字だけの世界というかモノの経済が最優先される社会になってしまったわけです。

人間は経済活動をするにあたって商品を消費していくわけですが、元々この消費は心を充足させるためのものだったわけですよね。ところが、今はその目的が完全に本末転倒して、心を消費させ、モノだけをたえず充足させようとしている。だから、価値観を本来あるべき姿に戻さないといけないのではないかと思っているわけです。

ここで言っている価値の本来あるべき姿というのは、いかにして人と人がつながっていけるか、ということです。
今のデジタル社会では情報も溢れていますし、コミュニケーション活動を推し進めるようなツールもたくさん出てきているのですが、人のつながりは希薄化していっています。携帯電話が普及すればするほど人間のコミュニケーション関係は断絶していってますし、インターネットの普及で地球の裏側の人とも一瞬でアクセスできますが、一方でマンションの隣の人の顔は知らない、というような現象があちこち起こっている。

こうした状況において、いかにすれば人間同士の心の交流や魂の触れ合いを復活させられるのかというのが、自分の中での大きなテーマです。会社のモットーを「共振・共鳴・調和」としたのもその問題意識からなんです。

みんなでやることで合理性だけでは図れない人の気持ちがわかるようになる

社会が進歩すれば快適さも増すわけですが、今の環境破壊にしろなんにしろ快適さの追求が不快なものを生み出してくるというのは当然なことと思います。「快適さ」や「便利さ」の追求が孕んでいる一番の問題は、努力の成果として得られるような達成感や幸福感を生み出しにくくさせているということです。

例えば学校で言い換えると、本当に学力を上げたいのであれば家庭教師を雇って一対一で学力を上げればいいんです。
しかし、学校では「みんなでやる」というメリットがあります。みんながいればサボらないし、みんながいれば知らず知らずのうちに大きなものを成し遂げていたり、合理性だけでは図れないような人の気持ちがわかり、感動によって何かを得ることができるようになる。みんながいると不便に思うかもしれないけども、みんなで乗り越えることによって、大きなものにたどり着けるようになるんです。

そういったことは誰もが経験的に知っているはずなのですが、煩わしさが先にきて人とのつながりから逃げてしまう。 するとどうしても他との距離感だけを考えてしまったり、他との力関係だけを考えてしまったり、自身の損得だけを考えてしまったりしがちになってしまいます。社会の進歩に不快なものはつきものだったはずなのに、それを消化しきれなくなってしまった。これは大きな問題だと思います。

高橋暢雄

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高橋 暢雄氏

高橋 暢雄氏Nobuo Takahashi

1966年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、保険会社勤務を経て、武蔵野学院に奉職。中学高等学校長、幼稚園長等歴任の上、現在は学校法人武蔵野学院理事長、武蔵野学院大学学長。
専門分野は現代思想・政治思想。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得満了。

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